引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1509823240/
あの時代の希望やったんやし
ソフトB内川奇跡呼んだ 独占手記 ありがとう横浜 足を手術したのにドラ1で指名
主将になった2015年は、日本シリーズ直前にあばら骨を折って出場できなかった。今回は何とか無事にシリーズを迎えたいと、気を使っていた。そんな中、DeNAとの対戦が決まってからずっと「古巣との日本シリーズ」と言われた。余計な意識が入らないように、無意識にガードしていた自分もいたと思う。今はすっきりした解放感がある。
シリーズ前の共同インタビューで、DeNAとの対戦について問われ「どうでもいい」と答えた。日本一を争う舞台では、相手が古巣であろうとなかろうと絶対に勝ちたいし、その場に個人的な感情を持ち込む必要はない。だから、質問自体に意味がないと思った。
横浜には恩がある。高校(大分工)1年秋に左足のかかとの骨に穴が開く病で手術した僕を、ドラフト1位で指名してくれた。大学かプロか、進路でずっと悩んでいた。プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。
当時の代表はアマチュア選手が中心の編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。
■伸び悩み引退も…母の言葉で目が覚め
1年目で開幕1軍に入ることができたけど、5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島(元西武、現オリックス)や片岡(元西武、巨人、来季から巨人コーチ)が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。
このままだらだらしていても仕方ないと思い07年オフ、野球道具をまとめて母(和美さん)に電話で「野球、やめるから」と言った。「もっとがんばりなさい」と言われると思っていた。だけど、違った。「あんたが好きで野球を始めたのに、嫌いになってまでしなくていい。やるだけやったんでしょ?」。ハッとした。本当にやりきったのだろうかと。
そのとき出会ったのが打撃コーチに就任した杉村繁さん(現ヤクルトコーチ)だ。それまで、打撃に関して人の言葉に耳を貸したことはなかった。駄目になってもいいと思っていたから話を聞けた。どんな打撃がしたいか聞かれ、前でさばいてカーンとホームランを打ちたいと言った。すると「ばかたれ! (前年まで所属の)ヤクルトはその打ち気を利用して、体を前に出させて打ち取ろうとしている」と言われ、驚いた。
それから、とことん練習に付き合ってもらった。試合前は必ずティー打撃。そうしているうちに結果も出始めた。レギュラーをつかみ、首位打者のタイトルまで取れた。翌年にはWBCにも出られた。結局、日の丸のユニホームを着る夢もかなった上に、世界一も経験した。あの2年がなければ、今の僕はない。
ただ、WBCでの息詰まる戦いの後、チームに戻るとギャップに苦しんだ。レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない。「1人だけ打って調子に乗るなよ」「打てれば何でもいいのか」。そんな声が耳に入るようにもなったが、打たないことには勝てないでしょ…って心の中で思っていた。
■酸いも甘いも知った横浜の10年間
球団にも本拠地移転や身売り話が出て、落ち着かなくなっていた。FA権を得て、自分が選んだチームに行けるのはこれが最後だろうと思った。家にいたら電話が鳴りやまず、妻(翼さん)と軽井沢(長野県)に行って、静かな中でゆっくり考えた。優勝争いをしているチームがどういう感覚でプレーしているのか知りたかった。そして、野球を始めてから僕を見てくれた大分の人に、生で観戦してもらえる環境は九州のチームに行くことだと思った。
移籍1年目の11年、横浜との交流戦でブーイングを浴びた。覚悟はできていたけど、そのころはファンの反応が気になりネットの書き込みを見た。交流戦でMVPを取ったときに「横浜では縁がなかった」と言った。それが「横浜をバカにしているのか」とファンを怒らせた。すべてが、ホークスとベイスターズの比較論になることに戸惑いながら、自分ではどうすることもできなかった。
■今のDeNA選手 ファンに夢見せた 僕はできなかった
横浜を嫌いになったことはない。今でも自宅のショーケースに横浜時代の帽子やユニホーム、野球用具一式を飾っている。横浜に自分がいた証しだから。ただ僕がいたころの横浜と、今のDeNAは別物だと感じている。親会社が代わり、ユニホームやマスコットだって当時と違う。選手もほぼ入れ替わった。新しい球団になって人気が出たのだと思うと、ちょっとした寂しさもある。
今のDeNAの選手たちには、僕が横浜にいたときにはできなかった、ファンに日本一を夢見るチャンスをつくってくれて感謝している。だからこそ思う。次は互いにリーグ優勝して、もう一度日本シリーズで戦いたい。そのときは僕の中でもまた、新たな感情が生まれるのではないかという期待があるから。 (福岡ソフトバンク外野手)
http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/371288
福岡ローカルラジオとかでバカにしとるのとは別人やでほんま
横浜の他の選手は負け込んでたのに改善する気も無かったってことかそら抜けるわ
叩かれてる主因を移籍後の発言だと思ってる奴多いけど違うからな
一番腹立つのは移籍までの経緯
WBCとチームのギャップに苦しんだで笑ってしまった
興味ないふりしてたけど、内川が一番古巣を気にかけてただろうな
こっちはお前のことなんjでボロクソ言ってるんや
草
なんていうとでも思ったか
ホームラン打ちやがって許さんぞクソが
でもまあ大目に見てやるわ今回だけやぞ
あの場面で一発打っちゃうとか強すぎて絶望したわ
今度はリーグ優勝してな
広島もドラ1で興味示してたのにそれ蹴っただけやけどな
広島は練習がキチガイ過ぎて病気明けだと着いていけないって断ったんだろ
もし広島に行ってたら練習で故障させられてたやろ
負けたのは悔しいけどさ
けど希望の選手やったから出て行かれてブチ切れるファンの気持ちも分からんでもないけど
工藤のニヤニヤは嫌いやけど